Sensuousに生きよう。

何も考えてないように見える僕の頭の中は、日本酒が溢れ出るくらいにくだらないことで頭が一杯だ。

銀行員時代 法人営業部編①

支店研修を終えると、いよいよ法人営業部への配属となる。僕は支店の時と同様、頭取を輩出したことがある都内の大型店に配属となった(以下、"あおぞら法人営業部"とする)。配属同期は僕を含めて三人。一人は理系採用の男性、そしてもう一人は国際採用の女性だった。この並びを見て僕は「この三人の中で一番長くここに残るのは自分だな。」とすぐに悟った。

 

配属初日の話をしよう。僕らは支店配属の時と同様一つ上の先輩と連絡を取り合い、遅くとも七時半には部店の前にいるようにと言われていた。駅直結の高層ビル10Fのエレベーターフロア。初日ということもあり僕らは少し早めの七時過ぎにはそこで待機していた。八時前に部店の鍵が開くとのことで、さすがに先輩らはまだ誰も来ていなかった。ガラス張りの受付窓口も外から見えないように扉が閉められていて、どこか薄暗い空間で互いに自己紹介をしながら「どんな部店なんだろうね。」などと三人で会話をしたことを覚えている。

 

七時半を過ぎたあたりになると続々と先輩たちがエレベーターから現れた。「おはようございます!」支店研修を終えてすっかり一兵卒になっていた僕は、研修で教わったように新人らしく大きな声で挨拶した。新人配属の初日ということもあり、その時はどこか賑やかな雰囲気ではあったが、後々これが非日常であったことに気づく。先に言ってしまうが、普段部店が開く八時前までは、エレベーターホールの壁際にまるでお見合いをするかのように皆が向き合って横一列に並び、疲れ切った表情で無言の時間を過ごすのである。新聞を読む者、携帯を触る者、朝ごはんを食べる者等その時間の過ごし方は様々だが、飲み会後の「昨日はありがとうございました。」を除いてそこにコミュニケーションは一切存在しない。

 

八時前になりようやく部店の鍵が開いた。部店の扉に繋がる細い通路にぞろぞろと皆が列を作って入っていく。「前に行って。」と一つ上の先輩に言われ理由も分からぬまま先輩たちを抜かして行くと、どうやら新人は先輩たちが全員入るまで扉を抑えなければならないらしい。誰かが指示した訳ではないが「新人たるものそれくらいの気遣いはしろ。」ということだろう。過去の"できた"新人が先輩への気遣いから始め、気づけばそれが慣例化して今に引き継がれているといった印象を受けた。一般に言う"できた"新人は会社的には気に入られるかもしれないが、総じて未来の新人に弊害を残しがちである。

 

※少し話が逸れるが、ここでその弊害リストを一部紹介しよう。

・キャビネの解錠と施錠

自分が必要な時に開け閉めすればいい。施錠の時間が早いと「閉めるのが早い。」と怒られることすらあった。彼らの仕事が終わるまで僕らは待たなければならないのか?

・コピー用紙の補充

気づいた人がやれ。彼らは30秒もかからないことが自分でできないのだろうか。

・床の掃除

一人一人が身の回りを綺麗にしていればオフィスは汚れない。

・先輩のゴミ箱のシュレッダー掛け

自分でやれ。

・取引先に関する新聞記事の切り抜きと回覧

確かに部店の取引先を新人が学ぶ為には多少効果はあるかもしれない。しかし、ほとんどの先輩は切り抜いて渡したものを読まないか既に自分で読んでいて、作業的に部内回覧を行なっていた。無駄。

 

中に入るとそこには背丈を超えるほどのキャビネが迷路のように何列にも並び、そこを抜けるとグループごとに机が区切られた、いかにもオフィスらしい空間が広がっていた。とりあえず僕ら三人は空いている席に荷物を置き、一つ上の先輩から開業準備の流れを教わった。上にあげたようなキャビネの解錠やゴミ出し、床掃除等々「新人が行う雑用と言えば?」と聞かれて思い浮かぶことは一通り網羅されていた。この日以降、三人で手分けして毎日これらを行うことになるのである。

 

八時四十分になると朝会が始まる。スケジュールの確認、相場の確認、副部長・部長挨拶と全体朝礼の一通りを終えると、次は一般職を除く営業マンが揃って会議室に向かい、帰店報告と呼ばれる全体報告会を行う。これは部店ごとによってスタイルは異なるのだが、あおぞら法人営業部では毎朝前日の活動報告を一人一人が全体に報告するという流れであった。ここで部長やグループ長から各々数字を詰められるという、営業の現場らしい会議である。僕ら三人は先輩らの後で最後簡単な自己紹介をしてこの日の会議を終えた。

 

会議を終えると先輩らは急ぎ足で外に出ていった。その時の部長は面談件数にこだわっており、営業マンは一日六件のアポイントが義務付けられていたからである。実際後になってこれも気づくのだが、ほとんどの人がこのノルマを守っていない。お客さんからして大した用もないのに毎週銀行員に時間をとられるのは迷惑であり、そもそもが難しい話だ。彼らは会ってもいないお客さんに会ったと面談管理表に◯を付け、上司もそれをどこか理解しながら見過ごす。なぜなら上司もまた同じようなトリックでこれまでの苦難を乗り越えて来たからだ。そんな忖度が上司と部下の間では無意識のうちに行われているのである。当然、結果は厳しく求められるが。

 

その日は庶務関係の手続きでほとんどが終わり定時には三人揃って帰ることができたが、先輩らの仕事ぶりや上司とのやり取りを目の当たりにして「何だかやばい所に来てしまったなぁ。」と初日にして感じた。支店の頃とはまた違う何かが僕の頭の中で崩れ始めるのがわかった。

 

 

(続く)

酔いの深度と眼鏡の関係を考える。

ふと目が覚めると、あたり一面が白と緑が入り混じった色でぼやけていた。緑の部分が早い速度で動いており、目の前には座った人らしきものが見える。ここはどこだ…そして、なぜ僕はここにいる。激しい頭痛と嘔吐感に襲われながらなんとか思い出そうとするも、全く記憶がない。もたれ掛かった銀色の手すりを頼りに昨日酔っ払って電車で寝過ごしてしまったんだなと気づき、とりあえず次の駅で降りることにした。

 

◯◯駅…全く見たことも聞いたこともない駅名に僕は困惑した。駅名だけではない。ホームから見える景色も都会のそれとは大きく違い、田んぼだか畑だか緑が大半を占めていた。どこまで来てしまったのだろうと不思議に思った僕は、近くにいた駅員と思しき人に「ここ何県ですか?」と質問した。すると、何言ってんだコイツというような顔を浮かべて「静岡県ですが…」と彼は答えた。「静岡県!?」と反射的に聞き返したが、変な人に思われるのも嫌だったのでそれ以上は質問せず「ありがとうございます。」とすぐさまその場を立ち退いた。どうやら僕は東海道線で下り続けていたらしい。

 

昨日酔っ払ってなぜか帰り道でもない東海道線に乗って今に至ることは理解した。二日酔いの気持ち悪さも仕方がないとして、気がかりなことがあと一つ。目が見えない…。僕の大事な"眼鏡"はどこにいった…。フレームだけで5万はするであろうあの"眼鏡"は…。このことに気づいてからは、記憶を失くしてよくわからない土地まで来てしまったことなんかどうでも良くなった。何よりお気に入りの"眼鏡"を失くしてしまったことがショックだった。

 

こんな話が僕のお酒の席ではよく起きる。これまで累計何本の"眼鏡"を失くしただろうか。僕にとって"眼鏡"を失くすということは、自分の携帯を失くすことよりも、自分の財布を失くすことよりも、海外旅行中に現金を擦られることよりも精神的に辛い。なぜなら、同じ顔をした"眼鏡"を再び手にすることは極めて難しいからである。「それだけ大事なら飲み会の時はかけてくるな。」と友人に散々言われた結果、今では飲み会の時はコンタクトを着けるようにしているが、今回は反省の意も込めて僕の酔いの深度と"眼鏡"の関係について考えてみる。

 

成熟期(深度1)

飲み始めでは、お酒も入ったばかりで酔いがなく、"眼鏡"のずれを気にするくらいの余裕はある。その度に僕は自分の着けた"眼鏡"を「今日も素敵だね。」と誉める。また、友人に"眼鏡"をいじられた時には、「僕の"彼女"をバカにするな!」と擁護に入る。この時の僕と"眼鏡"はまるで付き合いたてのカップルが互いを想うように一心同体の関係なのだ。

 

安定期(深度2)

飲み半ばで酔いもそこそこ周ってくると、"眼鏡"のずれが気にならなくなる。お酒を飲みながら交わす友人との会話に夢中になり僕の"眼鏡"への関心が薄れていく。しかし、お手洗いで鏡越しに顔を合わせた時には「大丈夫。」と互いに一安心する。その意味では、僕らの関係は付き合ってしばらくの安定したカップルに近いのかもしれない。

 

倦怠期(深度3)

飲み終盤になると、"眼鏡"の存在が全く気にならなくなり着けている感覚も失われる。お手洗いで鏡越しに"眼鏡"が何か訴えかけてきても目すら合わさない。まさにお酒を飲んで彼女からの連絡を全く返さないただの酔っ払いである。この頃から僕らの関係は危うくなり始める。

 

破局(深度4)

飲みの終盤を超えると、"眼鏡"が鬱陶しくなる。おそらくお手洗いの度に鏡越しに「しっかりしなさい。」と僕に言ってくれているのだろうが、僕も手が付けられない状態で「うるせぇ。」と反論し終いには"眼鏡"を外す(※)。当然こんな好き勝手をして彼女から僕に戻って来てくれる訳もなくそのまま破局となる。

※なぜ外すのかは自意識が失われている時の出来事の為自分でもわからない。

 

破局後(深度"0")

"眼鏡"を失った後には「なんであんなにお酒を飲んだんだ。」と激しく後悔する。ごく稀に彼女がお店で待ってくれていることもあるが、大抵は愛想をつかしてどこかへ行ってしまう。後悔してももう遅い、自業自得なのだ。

 

これからは飲み過ぎを抑えることはもちろんのこと、一本一本の"眼鏡"を大切に扱っていこうと思う。眼鏡に限らず自分の身の回りのモノは家族や友人、彼女と同じくらい大事にしなければならない。

銀行員時代 支店研修編④

支店の一員として溶け込んでからは、僕は銀行に対して何の疑問も抱かなくなっていた。つまり、思考が停止し完全な銀行の一兵卒になったのである。無駄で非効率な雑用も率先してやったし、先輩や上司との飲み会にも全て参加した。仕事は退屈だったが、職場の人に会うことが不思議と楽しみであった。

 

今振り返ってこの時期に戻りたいかと聞かれれば、僕は「戻りたくない。」と即答する。しかし、女性社会の中で過ごした支店研修時代には楽しい思い出も少なからずあった。以下では、支店研修編の締めくくりとして僕の小エピソードをいくつか紹介する。

 

クレーム対応で泣く人が理解不能

支店には時々クレーマー(変な人)が現れる。やたら怒鳴る人、無理難題を押し付けてくる人、いちゃもんをつけてくる人等々、本当に色々な客がいる。これらの人を前にして若手が泣いてしまうというのは銀行ではよくあることだ。僕の同期もこれを経験し時に泣いていた。さすがに同期がクレーマーを相手に泣く姿を見て同情はしたが、僕はこれが全く理解できなかった。

 

そもそも僕は事務ミスはあってもお客さんに怒られることがほとんどなかった。お客さんが僕の申し訳なさそうな顔を見て「仕方がない。」と思ったのか「コイツに何言ってもしょうがない。」と思ったのか、何を思ったのかはわからない。しかし、基本的に僕のミスは何でも許された。先輩や上司からは「何で◯◯くんだけ怒られないんだろうね。」と不思議に思われたが、それは僕にもわからない。僕の個性ゆえなのか、あるいはたまたま変な客に当たらなかっただけなのかもしれない。

 

クレーム関係で何か面白いエピソードがあれば良かったが、「お客さんに本気で怒られたことがない」ということ以外に無いのである。自画自賛する訳ではないが、僕のようにお客さんを怒らせた経験のない人は同期でも意外と少ないのではないかと思う。

 

地域マラソン大会での失態

銀行は地域貢献の一環で様々な地域イベントに参加する。あおぞら支店があった地域では毎年マラソン大会が開かれていて、行員も有志で参加することになっていた。当然、僕は新人として断る訳にも行かず参加することに。せっかくの土日休みが一日潰れることは嫌であったが、「好きな先輩や上司と走るなら別にいいか。」と最初は楽しみに捉えていた。

 

しかし、その楽しみはある知らせによって一気に吹き飛んだ。「今年は常務も一緒に走るから失礼の無いように。」大型店ともなれば役員クラスが隣店に訪れることもしばしばである。どうやらその時にあおぞら支店を担当していた役員がたまたまマラソン好きで話が進んだらしい。銀行で役員と言えば、支店長であっても全く頭が上がらない存在である。良い大人が自分の部下の前でへこへこするのだ。きっと、常務が参加すると聞いて一番ショックを受けたのは支店長に違いない。

 

ラソン大会当日、常務を前にみんなそわそわと落ち着かない様子であったが、支店長が出発まで対応し無事スタートの時を迎えた。スタートの合図が鳴ればあとは個人との戦いであり、僕も先輩や上司お構い無しという感じで走り始めた。個人選手でもなければ大抵走り始めは集団で様子見となるのが通例であるが、この時は違った。マラソン好きの常務が序盤から抜け出したのである。

 

僕はこれにすかさず付いていった。正直常務は50歳を超えていて一緒に走るのも余裕だろうと思っていたが、年齢を感じさせないスピードで、ずっと運動をしてきた僕であっても付いていくので精一杯だった。本当に速くて途中諦めそうになったが、大好きな運用課長の声援もあって僕は常務の背中を見失うことなく走り続けることができた。

 

ゴールまで残り1kmに差し掛かった終盤、ラストスパートのタイミングを伺いながら常務に付いて走る。ここで、よくできた行員であれば最後まで常務を抜かすことなく「ずっと常務に付いてたのですが、最後抜かせませんでした。さすがお速いですね。」などとゴールした後常務を持ち上げるのだが、僕にはそんな気遣いもできなかった。ゴール100m手前、応援してくれる先輩らにも見えるくらいの位置で常務を抜き去りそのままゴールした。

 

ゴールした時の先輩らの顔は今でも忘れない。「あー、やってしまった。」という僕に対する残念な顔と「常務になんて声をかけたものか。」という困惑の顔とが入り混じった表情を浮かべていた。一つ上の先輩からは「普通だったらありえないけど、おもろいからいいんじゃない。」と言われた。何が悪いのか全く理解できなかったが、僕は"普通"ではなかったらしい。

 

その週明けの朝会で支店長に笑い話にされるくらいで済んだが、銀行で行うべき"気遣い"というものを学んだ出来事であった。

 

クリスマスパーティーで大滑り

これは銀行に限った話ではないが、新人は何かイベントがあるごとに場を盛り上げるべく出し物をやらなければならない。クリスマスパーティーはその中でも一番の盛り上がりを期待される場である。僕は一般職同期4人と業後や休日にカラオケ等で集まり、それなりの準備をした。

 

準備段階で問題になったのは、一般職同期4人との温度差である。僕は学生時代から体育会としてこのような出し物系には積極的に取り組んできた。一発芸、漫才何でもござれである。そして、今回も全力で出し物に取り組むつもりであった。しかし、彼女たちはそれを面倒臭がった。僕が提案したことは悉く反対され、彼女たちは「手間がかからず無難なことで済ませたい。」と強く主張した。

 

結局、演目に選ばれたのはその時の流行りAKBの「恋するフォーチュンクッキー」である。一つ上の先輩にも「普通すぎて面白くない。」と言われたが、彼女たちは最後まで意見を変えることはなかった。そこで、"普通"が一番嫌いな僕は一人の時間をもらうことにした。これについては彼女たちが何かする訳ではないので揃って「勝手にして。」という反応であった。

 

そして、クリスマスパーティー当日。散々悩んだ挙句、僕は一人の時間に全力でラップをした。ビート調の音楽が鳴ると同時に手拍子が鳴り始め、みんなが「Yo!」「Hu~!」などとガヤを入れてくる。そんなパーティーっぽい風景を想像していたが、現実は残酷だった。誰も知らないビート調の音楽にみんなが困惑の表情を浮かべ、会場には音楽だけが鳴り響く。そこにヒップホップ系ファッションをした僕が現れ突如ラップを歌い出す。この後の流れは想像に易いだろう。まばらな手拍子の中、僕は全力で滑った。

 

その後、一般職同期4人とサンタクロース姿で「恋するフォーチュンクッキー」を踊った。穴があったら入りたい状態の僕は気が気じゃなかったが、予想に反して会場は大盛り上がり。最低限新人としての役割を果たすことができた。盛り上がると思っていたものが大滑りし、滑ると思っていたものが大盛り上がり。僕は出し物が終わった後に「ほら、私たちが正しかったでしょ。」という彼女たちの顔を見て「ありがとう。」としか言うことができなかった。

 

失敗の原因はジェネレーションギャップを考慮できなかったことだ。若手の少ない状況では、冒険をせずに無難に済ませた方が良いのかもしれない。それを学んだ上でも僕は"普通"ではないことをするだろうが。

 

 

〜最後に〜

支店研修編は以上となる。上述したこと以外にも書ききれなかったエピソードはまだまだあるが、銀行員が気をつけるべきポイントは大方伝えられたのではないかと思う。すっかり銀行の兵隊となった僕が次に向かう舞台は、本配属となる法人営業部である。そこではお姉様方への甘えも許されない、まさに軍隊としての男性社会が待っていた。次の法人営業部編では、僕のさらなる苦悩をお伝えすることになる。ただ、暗い話ばかりではなく、僕が軍隊を脱退するまでの今現在に向けた話も含まれる為、是非とも注目頂きたい。

 

もう一人の嫌な自分

日本人は何かと他人と比べたがる人種だ。それは小学校から高校にかけて義務教育という、社会が決めた基準に照らして良し悪しの評価を受ける環境に身を置くからである。そこでは規則に従うことが正、勉強して良い大学に行くことが正、そして良い会社に勤めることが正などと教わる。大人になった人が「これは自分なりの価値観である。」と思っているものの多くは、こうした日本社会が決めた価値観に大きな影響を受けているのである。

 

日本社会は世間が思うよりも遥かに不平等な社会だ。義務教育が子どもに刷り込む価値観はいわば社会の奴隷に必要な価値観であり、日本社会はこれに反すれば社会的評価が自ずと悪くなるような仕組みで成り立っている。この仕組みをコントロールしているのは一部の限られた富裕層であり、彼らの既得権益が守られるような仕組みで日本社会は動いていると言っても過言ではない。日本ではイノベーションが起きづらいというのもこの見えない格差が要因と言える。「出る杭は打たれる」という言葉がこれほど似合う社会は他に無いだろう。

 

僕も少し前までは日本社会の奴隷であった。世間では十分に優秀と言われる国立大に入学しても東大京大の人を見て劣等感を感じたし、同じく大企業と言われる企業に就職しても商社マンや外資銀行に勤める人を見てどこか自分を卑下していた。年収も高いに越したことはなかったし、仕事内容も海外を股にかけるかっこいいことがしたいと思っていた。何より、そんな風に人と比べて物事を評価してしまう自分が嫌だった。

 

しかし、いつからだろう。「友人の年収が若くして1,000万を超えた。」などと聞いても何も思わなくなった。大企業を辞めてもうすぐ1年が経とうとしているが、この1年で僕の価値観が大きく変わったのである。このように言うと「出た、ベンチャー的発想。」などとバカにする人が出てくるが、それともまた違う。"ベンチャー企業"に務めた経験はないし、この1年は僕が尊敬する仲間と一緒に自分たちが面白いと思うことをやり続けた、ただそれだけである。既存社会に捉われない環境に身を置いたと言う方が正しいか。

 

僕は自分に"できる"ことが見つかった。自分が"やりたい"ことも見つかった。そして、それらを活かして何か"社会に役に立つ"仕事をしたいと思うようになった。他人に対しても同じだ。自分の好きを仕事にしている人、そして何か社会に対する信念を持って仕事している人に魅力を感じるようになった。逆を言えば、そうではない人の話が退屈になった。

 

僕は日本社会に縛られる人たちを決して下に見ている訳ではない。脱・奴隷的発想が正しいとも思わない。ただ、個人として人間関係に思い悩んでいるだけである。彼らが面白いと思う話を僕がつまらないと思うのであれば、その逆も然りで僕の面白いと思う話は彼らにとってはおそらくつまらないのである。自分と似た考えを持つ人と付き合えば良いと言われるかもしれないが、僕はこれまでの人生で付き合った人ほとんどを否定できるほど心が強くはない。

 

嫌な自分を超えた先にはもう一人の嫌な自分が待っていた。僕はただでさえ人とのコミュニケーションに難ありだが、このもう一人の嫌な自分に打ち勝つ為にも、今後は勇気を持って自分の考えを彼らに伝えていこうと思う。そして、最後に気づく。「彼ら」と対置している時点で僕は未だに日本社会から抜け出せていないのかもしれない、と。

銀行員時代 支店研修編③

彼女が支店に来なくなって以降、気のせいかもしれないが周りが妙に優しくなった。おそらく支店長が上席会議で新人の扱いを見直すように話したのだろう。支店の評価には新人教育という項目があり、退職に至った場合にはそれが減点対象となるのである。「これ以上辞めさせるわけにはいかない。」という支店全体の空気感がちょっとしたことから感じられた。

 

その影響は仕事内容にも現れた。先輩の補助が付く形ではあるが窓口に出る機会が増えたのである。最初は口座開設や住所変更といった簡単な手続きから始まったが、僕はこれに苦戦した。新人として書類の記入漏れ等があるのは仕方ないにしても、どうも会話がぎこちない。ぎこちないどころか、音声案内のように挨拶と案内以外には何も話さない。雑談を挟むにしてもPepper君の方がよく話すのではないかと思うくらいであった。

 

僕はこれまでに接客のアルバイトもしたことがないし、このブログの初稿で書いたように口でのコミュニケーションが苦手だ。お客さんを相手にしても何を話せば良いのかわからなかったし、「今日は良い天気ですね。」から始まる取り留めのない会話に何の意味も感じていなかった。僕はこの時ほとんどのお客さんに対して「ネットで手続きしろよ。」という感情以外持ち合わせていなかったのである。こんなふざけた態度の僕であったが、最初の頃は新人バッチという最強の武器を付けていた為、お客さんも「新人さんか、緊張してるんだな。」と優しく対応してくれた。

 

今の時代、口座開設、住所変更、紛失届等の基本的な手続きは全てネットで行うことができる。にも関わらず、依然多くの人が来店しての手続きを選ぶのはなぜなのか。それは銀行のインターネットバンキングのUI・UXが最悪だからだろう。僕もプライベートで利用する機会があるが、正直どの銀行のシステムも使いづらい。さらに来店の手間は省けるが、手続き完了までに長い日数がかかってしまう。「悪いのはお客さんではなく銀行だ。」と気づくとともに先ほどの不満もすぐに解消された。

 

銀行の手続き制度に疑問を抱きながら、お客さんと会話ができない日々はしばらく続いた。そして、この状況を見たサービス課長が「さすがにコイツはまずい。」と思ったのか、お姉様方を巻き込んでの"お客さんと会話できるようになろうプロジェクト"が始まったのである。お姉様方が毎日付きっきりで代わりがわりに僕の指導にあたった。年上女性が好きだった僕はお姉様方に完全にたじろいだ。「なんでもいいから話してみよっ。」と言われて小さなことからお客さんに話を振るも、会話内容がお姉様方に全部筒抜け。そのような状況では目の前のお客さんよりそちらに意識が行きがちだったが、なんとか堪えて奮闘した。

 

変なことがあるとお姉様方はすぐにフォローに入ってくれた。例えば、赤ちゃんを前にした時には「男の子ですか?」と聞くのは失礼で「女の子ですか?」と聞くのが常識らしい。男の子が女の子に見えるのは可愛らしいという印象で良いが、その逆はなんとも言えない微妙な印象を相手に与えるのである。ちなみに僕は後者の対応をしてお姉様方に注意を受けるとともに笑われた。僕はその子が男の子に見えたからそう口にしただけである。何が悪いのか理解はできなかったが、お姉様方に「全く、もう(笑)」と言われることに悪い気はしなかった。

 

その頃の日誌は「今日はお客さんと〜の会話をして〜な反応があった。」というまるで小学生の日記レベルの内容だったことを覚えている。くだらないと思う読者も多くいるかもしれないが、僕はこれまでの所感文とは違いこれを真剣に書いた。毎日の指導員のコメントはもちろん、たまに書かれる支店長のコメントを読むことが楽しみであった。ヤバい支店であれば、僕は干されていたか毎日怒鳴り散らされていたと思う。しかし、支店長を含めた全ての人が会話すらできない僕の成長を見守ってくれたのである。

 

前に新人最大の仕事はクレジットカード営業であると述べたが、これまでを読んで僕がそれどころではなかったことがわかるだろう。しかしそこは体育会、お姉様方の指導のおかげもあってお客さんともすぐに会話ができるようになり、最初は難しかったクレジットカード営業も次第に獲得件数が増えていった。それでも僕だけで大型店のノルマを達成するには力不足であり、年間目標に対する月々の進捗は大きな遅れをとった。

 

クレジットカードの獲得は本来年間ノルマの一つとして支店全体に課されるものである。しかし、支店の従業員はクレジットカード営業=新人なかでも新人総合職の仕事という認識を持っており、その実情は異なる。過去の先輩方も同じ経験をしてきた為にそれが当たり前となっているが、明らかに非効率あるいは銀行として本気で獲得する気がないとしか言えない。営業の基礎を学ぶに最適と主張する人がいるかもしれないが、ここで問題になっているのは題材としての話ではなく環境の話だ。新人総合職への押し付けのような形でこれを行うのであれば、銀行はカード発行そのものを今すぐ辞めた方がいい。

 

とは言うものの、ノルマに遅れた状況で僕も過去の慣習に倣い、業後一人でATMに立ちお客さんに声をかけ続けることもあった。大方無視されるが稀に獲得に繋がることがあって、その時は喜びというより「最低限自分の行動が無駄ではなかった。」という安堵を感じた。想像してほしい。自分がお金を引き出そうと遅くにATMに行ったら若いスーツの行員がいきなり声をかけてくるのである。「やかましい。」と鬱陶しがるか「かわいそう。」と哀れむ以外の反応があれば是非とも教えてほしい。未だこのような修行的文化が銀行には残されているのである。

 

ここでは、お客さまと会話のできなかった僕が、クレジットカード営業ができるようになるまでをお伝えした。その手助けとなったお姉様方による指導は非常に心地良いものであったが、その環境に甘えた僕は同時に男としての何かを失った気がしている。お姉様方とやり取りをする度に、「こんなデレデレした振る舞いをする自分が気持ち悪い。」と自己嫌悪に陥った。しかし、居心地が良ければそこに安住するのが人間で、僕はすっかり環境に溶け込んだのである。次回、支店の一員となった僕が経験したいくつかの小エピソードを紹介して、最後支店研修編を締めくくりたい。

 

銀行員時代 支店研修編②

長期休暇を終えて支店に顔を出すと、職場の話題は彼女で持ちきりだった。「どうして来なくなっちゃったの?」「まだ数ヶ月しか経ってないのに。」「この程度でダメになるならこの先どうせやっていけない。」等々、みんなが口にする言葉はどれも彼女への思いやりに欠けるものだった。僕も人のことは言えない。確かに仕事は退屈そのものであったが、逆に楽すぎてストレスもほとんどなく、何がそこまで彼女を追い詰めたのかいくら考えても理解できなかった。理解できなかったが、口には出さなかった。

 

彼女が職場に来なくなってから何度も耳にした、僕の大嫌いな言葉がある。「昔はもっと酷かった。」今の大人の大半は自分の過去の経験を基準に物事を語りたがる。中でも頭の堅い銀行員の多くは今を基準に物事を捉えることができない。第三者的に過去を語るのはまだマシとして、最悪なのは「私の時は…」「俺の時は…」と自分の経験を引き合いに今の若手を批判する場合である。確かにその人らはひどい支店長、部長に当たり辛い想いをしたのかもしれない。しかし、そんなのは運が悪かったとしか言いようがない話で、その時の話をされても辛い過去を乗り越えた自分を美化したいだけにしか見えないのである。

 

過去に支店に来れなくなった新人を何人も見てきているからか、このような耳障りな会話があちこちで聞こえる日々は意外と短かった。今に思えば、新人が辞めるということは営業に追われる男性職員にすれば無関心、ゴシップ好きな女性職員にすれば退屈しのぎでしかなかったのかもしれない。他の企業の職場がどのような雰囲気かは分かりかねるが、銀行の職場はあまりにドライである。

 

 

少し話が逸れたが僕の支店研修後半を振り返る前に、ここであおぞら支店の構成を紹介しよう。おそらくこれは世間一般の支店にも当てはまるので、銀行に足を運んだ際には是非イメージしてもらいたい。以下、大きく3つに分けられる。

 

◯富裕層向け個人営業層

富裕層向けの資産運用、ローンのコンサルを行う。男性社会で常に空気はピリピリムード。新人がこのグループの人に関わることは滅多にないが、たまに挨拶に行くとあまりの静かさに緊張する。

 

◯個人営業層

中流階級向けの資産運用、ローンのコンサルを行う。女性社会であるが、営業職としての緊張感は上と変わらず。しかし、女性らしい面もあって仕事が落ち着く夕方頃にはみんなでお菓子をつまみながら雑談する時も見られる。総合職の新人はまずこのグループに配属となる。

 

◯一般顧客対応層

一般顧客の窓口対応および営業層への取次ぎを行う。女性社会。張り詰めた空気というよりは常に顧客対応に追われていて騒がしい。変な顧客が来店しクレーム対応することもしばしば。新人が銀行業務の基礎を学ぶ現場である。

 

次に、あおぞら支店のメンバーを紹介しよう。あまりにお世話になったので一人一人挙げたいところだが、ここでは僕の支店研修を語る上での大枠での紹介に止める。

 

支店長:「こんなに良い支店長は滅多にいない」とみんなが慕う人格者。直接関わる機会はそれほど多くはなかったが、その理由が自然に伝わるくらい良い人。

部長:支店長も過去に経験したお父さん的存在。飲み好きだが立場上気軽に飲みに誘えないのでどこか寂しげ。(怒られたことはないが)怒ると怖いらしい。

運用課長:バリキャリ、美人、乙女。普段ツンとしていて厳しいが、たまに見せる笑顔が素敵。運用課長に「ありがとう。」と言われたいが為に、彼女からお願いされる雑用はどんなことでも真っ先にこなした。

ローン課長:途中異動があって一人は変わり者、もう一人はヘビースモーカー。どちらもクセが強かった。

サービス課長:豪快、チャーミング。飲み会の席ではいつも中心。後半にかけてこの職場への愛着が湧いたのは、サービス課長がいたからこそ。相手と時代に合わせて話ができる人だった。

指導員:不思議な雰囲気を持つお母さん的存在。普段はほったらかしで、たまに呼ばれたかと思えば手厳しい言葉を投げてくる。態度には表さないが一番僕のことを気にかけてくれていた。

一つ上の先輩:傍若無人。好き嫌いがはっきり別れる人。うざいと思ったことは何回もあったけど一番お世話になった。僕は好き派です。

一般職同期4人:頼りがいのある同期。最初はどこか距離感もあったけど、次第に打ち解けた。今でもたまに飲みに行く仲。

お姉様方:何でも丁寧に指導してくれる優しく綺麗な先輩方。迷惑かけすぎて何も言えない。

マダムたち:我が子を見るように僕に接してくれた優しい方々。

 

紹介文を書いてみて思うが、僕の支店研修は人に恵まれていた。支店研修後半はこのような良い人たちばかりに囲まれて進んでいくが、不慣れな女性社会の中でこの人たちのマザーテレサのような優しさに甘え、僕の人格が少しずつ崩壊していく様子を次でお見せする。

 

銀行員時代 支店研修編①

集合研修後、独立遊軍武蔵はばらばらになった。3人は関西、2人は関東へ。そして、僕は都内のある支店に配属された。ここでは、あおぞら支店(仮称)と言っておこう。個人富裕層も顧客として来店するような、いわゆる大型店である。

 

あおぞら支店への出勤初日。僕は見慣れぬ駅の改札前で配属同期の女性を待っていた。改札を通る一人一人が同じ職場の人かもしれないという妙な緊張感の中、どうも落ち着かなかったことを覚えている。不安ともまた違う、「あっ、あいつが支店にくる新人か。」と影で思われていると想像すると嫌な気がしたのだ。僕は新人研修での教訓を活かして、配属初日はいかにも新人らしい黒色のスーツを着ていた。

 

10分ほど待つと、改札から僕に向かって歩いてくる女性が現れた。「か、かわいい。」おそらく彼女を目にする10割の人がそう言葉を漏らすだろう。僕も心の中で大きくガッツポーズした。彼女は学生時代読者モデルをした経験もあり、研修時代から同期内でかわいいと話題になっていた女性であった。僕はそういうことに疎かったのでこの日が初顔合わせとなったが、銀行も捨てたものではないと少しばかり浮かれていた。

 

「よろしく。」

 

少し照れた口調で挨拶を交わした後、二人で歩いて支店に向かった。支店研修の幕開けである。

 

 

配属店によっても方針は異なるが、僕らが支店に配属されてまず初めにした事は雑用全般である。用度品の管理、会議の設営、書類の整理等々挙げれば枚挙に暇がない。先輩らも新人=雑用係という認識を持っている為、それを任せることに何の抵抗もなかった。そして、新人の最初の仕事と言えば電話対応である。研修時代に「新人たるものまずは電話をとれ。」とみんなが教え込まれる。ここで、よくできた新人であれば早押し問題に答えるように着信音が鳴ってすぐ受話器を取るのだろうが、配属して間もない頃の僕は取ろうとするそぶりを見せるだけでほとんど取らなかった。つまり、僕はダメな新人だった。しかし、彼女は違った。何でも率先して動き、電話も素早く取る彼女はお手本のようなよくできた新人だった。どこからそのエネルギーが湧いてくるのだろうと僕は不思議に思った。

 

次に行うことは、ロビー、ATMでの顧客対応である。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は新人が一番早く一番大きな声で言わなければならないのだ。ATM前ではクレジットカードのキャンペーンの呼びかけも行なった。読者の中には、実際にATMでその様子を見かけたことがある人もいるだろう。後述するが、クレジットカード営業は支店研修時代における新人の最大のミッションなのである。

 

ロビー、ATM対応を経ていよいよ窓口対応かと思うが、大型店の新人が窓口に出るまでの道のりはまだまだ長い。後方記帳と先輩の窓口対応見学という2つの壁が僕らには残されていた。小型店、中型店であれば人手が足りない為に"とりあえず行ってこい"スタイルで配属してすぐ新人が窓口に出ることも多いが、大型店では一通り学ぶまでは窓口には出さない"一旦待て"スタイルで新人教育が行われる。

 

気づけば、ロビー、ATMでのクレジットカード営業と窓口後方での学習とを彼女とローテーションで行うようになって数ヶ月が過ぎようとしていた。同期研修では窓口対応でクレジットカード何件と行った会話が繰り広げられる中、僕らは依然窓口にすら立てない状況が続いていた。普通であれば多少の焦りを感じるのだろう。しかし、僕はこの状況をむしろ吉と捉えた。窓口なんて出なくて良いなら出たくない。変な客が来て先輩が文句を言われる姿を見てきて、いかにも面倒くさそうである。そもそも顧客と何を話せば良いのかわからない。これらは当時の僕が抱いていた正直な気持ちである。

 

この頃、僕は学生時代の怪我の手術の関係で早めの長期休暇に入った。せっかくの有給休暇であったが、その年は手術で丸つぶれとなった。手術を終えて退院までの間病室で過ごしていると、先輩から驚きの一報が入った。

 

彼女が支店に来なくなったのである。彼女は数ヶ月間休養という形をとったが最終的にそのまま退職した。

 

 

彼女にはよく怒られた。

彼女とはいつも一緒に帰り、たまに31アイスクリームを食べに行った。

彼女とはよく用度品倉庫で愚痴の言い合いをした。

彼女が誘われる先輩との飲みによく連れ回された。

そして、彼女とは最後口喧嘩した。

 

天真爛漫、負けず嫌い。いつも明るく振舞っていた彼女はどこか無理をしていたのかもしれない。そのことに気づいていながらも僕は彼女を気遣うことができなかった。彼女が寄りかかるには僕はあまりに脆すぎた。銀行という土に根を生やす覚悟のなかった僕は同期として本当に頼りなかったに違いない。それでも、口喧嘩する最後まで僕のことを叱咤激励してくれた彼女には感謝の想いで一杯である。彼女がいなければきっと、銀行員としての最低限の気遣いすらできず、その後の銀行員生活は大きく変わっただろう。ありがとう。