Sensuousに生きよう。

何も考えてないように見える僕の頭の中は、日本酒が溢れ出るくらいにくだらないことで頭が一杯だ。

銀行員時代 法人営業部編⑥

退職するにあたって、まずは職場の上司への報告が必要となるが、銀行では上司を捕まえるタイミングが思いの外難しい。銀行の営業現場における中間管理職は、日中は基本的に担当者と一緒に外回りに出て部内にいないか、部内にいる時も部長・副部長からの指示への対応に追われている。外回りから帰ってくる夕方になっても、各担当者からの報告を受けたり部長も交えて案件協議を行なったりと、常に忙しいのだ。そんな上司が忙しくしている時に「少しお時間いいですか?」などと新人が話しかければ、「どうした!?」とその場で要件を求められるに違いない。僕は、その時担当先で走っていた大口案件を理由に帯同往訪をお願いし、車移動の際にさらっと辞める宣言をすることにした。

 

「実は僕、会社辞めようと思ってます。」僕は面談帰りに営業車を運転しながらさらっと上司に退職の意向を伝えた。隣に座る上司が目を見開いて「急にどうした!?」と当然の反応を示したので、横目で上司の顔を見ると、上司は驚きの中に当惑の表情を浮かべていた。嫌な顔をするのも仕方がないと思った。日頃から部内の収益目標や部下のミスについて部長らに厳しく詰められ、ただでさえストレスフルな社畜生活を送っているのに、僕のせいで余計な面倒が増えるのだ。おそらく部長に僕の説得を指示されてまた板挟みの状況に苦しむのだろう、と想像すると申し訳なさで一杯になった。結局、車内では簡単な説明に留めて、部店に戻ってから詳しい話をすることになった。

 

部店に戻るとすぐに上司から応接室に呼び出された。そこで、僕は健友と哲誠と再会してから考えてきた自分の生き方についてありのままを話した。幼い頃から同調圧力が嫌であったこと、父のようにオンリーワンな生き方をしたいということ、その上で一人の人間として銀行にこのまま残ることは考えられないということ。その上司は、僕に自分の生き方を否定されたようで本心では憤っていたかもしれないが、表情を崩すことなく頷きながら僕の話を真摯に受け止めてくれた。でも、辞めて何するんだ、と聞かれた時はすぐに答えが口から出なかった。なぜならこの時は健友と哲誠でさえ将来的に何をするのか決まっておらず、今が楽しいという理由で皆が仮想通貨の世界にのめり込んでいたからである。僕はそのことも正直に伝えた。上司は、安易すぎる、と僕を想って厳しい言葉も投げかけてきたが、決意は固いということでなんとか部長に繋いでくれた。

 

ここからが苦難の道のりだった。急遽、部長と上司と三人で個室居酒屋に行くことになり、空気の重い牢獄のような空間に押し込まれた。何もこれは僕に限ったことではなく、部長と話すのは日頃から緊張するものだ。数万という従業員が出世で争う銀行という世界で、法人営業部長にまで上り詰める人はほんの一握りである。そんな出世競争を勝ち抜いてきた知識も経験も豊富な大人を相手に、社会人経験二年そこらの若造が何かを議論して勝つことは容易ではない。プロ対アマの詰将棋のような展開で、僕の主張は尽く跳ね返された。若くして銀行を離れる多くの人がこの状況を経験すると思うが、この時に大切なことは何を言われても自分の信念を曲げないことである。「部長のおっしゃっていることはごもっともですが、僕の気持ちは変わりません。」ルール無視の逆王手である。しかし、参りました、となるかと思いきや、まさかの対局は順延されその日に決着が着くことはなかった。

 

この半年近く悩みに悩んで出した結論をまた考え直せと言うのか。あまりに酷い仕打ちである。僕は考えることを放棄した。どうせ考えても自分の決心が揺らぐだけだと思ったからである。一度は辞めると決意しても、部長や上司の説得で考えを改め、銀行に残る選択をした友人の話も聞いていた。その人を否定する訳では無いが、ここで言い包められては彼らの思う壺だと思った。彼らは自らの保身の為に僕の退職を妨げようとしているのだ。もちろんそんな人ばかりではないが、特に部長の言葉からはそれが強く感じられた。確かに正論を述べてはいるのだが、そこに僕に対する気持ちは一切感じられなかった。僕は今一度自分の選択を信じることにした。家で健友と哲誠にそのことを愚痴ると「頑張れ(笑)」と自分たちが辞めた時のことを懐かしむように笑っていた。

 

あれから一週間が経った。考え直せと言われてすぐに話をしては、何も考えていないと突っ返されるだけだと思い、時間を置いて再び上司を呼び出すタイミングを探っていたのである。外訪帰り直後の今が狙い目か、と席で隣の先輩と話しながら見当を付けていると、まさかの"上司"から先制攻撃を食らった。副部長に応接室に呼び出され、再び副部長と上司と三人で勝ち目のない詰将棋が始まった。副部長は僕があおぞら法人営業部に配属された時の元上司にあたり、配属当初からずっと可愛がってもらっていた人だった。対局時間は三時間近くにも及んだ。居酒屋でもなくただの応接室で三時間である。仮想通貨・ブロックチェーンの世界でチャレンジしたいと言うけどお前は銀行に入って一度でもチャレンジしたのか、お前の辞め方は退職して失敗する奴の典型的な辞め方だ、その二人はお前の優しい性格もわかって利用しているだけの詐欺師だ、お前はそいつらに人生を賭けれるのか、等々。他にも耳を塞ぎたくなるような辛辣な言葉ばかり防戦一方に浴びせられたが、その"上司"の本気度合いに部下を想う気持ちが垣間見えて不思議と僕の目は赤くなっていた。それでも僕の決意が揺らぐことはなかった。

 

結局、副部長との長い対局もその日で決着が着くことはなかったが、そのさらに翌週に部長に考えが変わらない旨を報告して、ようやく最後の人事部面談に行き着いた。人によっては人事部面談で怒鳴り散らされると聞いたこともあるが、僕の場合は相手も若手で終始理解のある落ち着いた面談だった。辞めることを止めたりはしない。ただし、僕の人生観を聞いて少しでも考え直す余地があるならその時は今一度立ち止まって欲しい。そんな流れの話であったように思う。具体的に覚えていない為そこまで共感する話ではなかったのだろうが、その人は若くして銀行の人事部に配属されるだけあり、ただなんとなくではなく自分なりの価値観で銀行というキャリアを選択しているのだ、という印象は残っている。また、その人は六本木界隈のベンチャー企業を顧客として担当していた経験もあり、そのような世界が夢がある一方でいかに厳しい世界かという話もしてくれた。僕の職場もこんな人ばかりであれば、もっと気概を持って銀行員生活を送れたのかなと思う。単に職場で先輩らと真剣な話をする機会を設けなかった僕が悪いのだが。彼らがどんな価値観を持って銀行で働いているのかはわからない。ただ、楽しそうには見えなかった。

 

無事、銀行を退職することが決まった。人事部面談の後には健友と哲誠と三人で喜びの杯を交わしたのだが、その喜びも束の間、最後で最大の"稟議"が残っていた。シェアハウスを始めて以降、親に「銀行を辞めるかもしれない。」ということは、実家に帰った時やLINEでやり取りする時に都度伝えてきた。今更驚くこともないだろう。でも、いつどのタイミングで家族全員に伝えれば良いのか。そんなことを考えている時に家族旅行の話を思い出した。嬉しいことに、子どもが社会人になってからは毎年家族全員で海外旅行に出かけている。父が単身赴任で海外にいてなかなか家族で集まる機会がなかった為、父の企画でどこか行きたい国に集まろうというのがきっかけだ。この年はオランダが旅行先となっていた。正直、家族旅行でみんなが楽しく過ごしている時に、僕の退職の話をするのは気が引けた。全力で楽しいはずの旅行が、急にどこか気がかりな後味の悪い旅行になってしまう。しかし、家族全員に話をするならこの時しかないと僕は思った。

 

ちょうど日が暮れ始める頃、オランダのスキポール空港に一人到着した。空港の外に出ると「I amsterdam」という言葉が僕を出迎えた。よく写真で見るやつだと思ったが、この旅で親に反対されるであろう話をすることを考えると、ようこそ、という気分にはなれなかった。そのままタクシーでホテルまで行き家族に合流した。口数が多く話で賑わうタイプの家族ではないが、家族みんなの顔を見ると今抱えている不安も全て忘れることができて、どこか心を落ち着けることができた。退職の話をするのは最後のディナーの時と決めていた為、それまでは全力で家族旅行を楽しんだ。運河に囲まれた歴史的な街並み、カラフルなチューリップの球根が軒に並ぶマーケット、水上に無数のレトロな風車が立ち並ぶ風車村、そしてゴッホフェルメールの絵画が飾られた美術館、等々。友達と旅行に来る時ほど心を全開にしてはしゃぐことはできないのだが、やはり家族で行く旅行はこの上なく幸せだった。

 

そして、最後のディナータイムが訪れた。父母と兄妹とビールを飲みながら赤みの残った肉厚のステーキを頬張る。今回の旅の振り返りや次の旅行で行きたい国の話などたわいもない会話が続く中で、僕はなかなか話を切り出せずにいた。とにかく目の前の肉の塊に集中し緊張をごまかした。どこかで勇気を出して言わなければならない。どうしよう、このままでは何も言えないまま旅行が終わってしまう。そんな心の機微を察してか、兄が僕と以心伝心したかようにキラーパスを差し出してくれた。「そういえば、剣真仕事辞めるの?」と。後は健友と哲誠と再会してから僕が考えたことを素直に伝えるだけだった。母はこの時絶対に銀行に残るべきという意見を崩さなかった。父は基本的には自分の好きに生きたら良いという意見であったが、どうしても最後まで二つの不安が消えることはなかった。その同期二人は信頼の置ける人なのかということと、仮想通貨は大丈夫なのかということである。二人については、自分では全幅の信頼を置けると思っていてもそれを父に伝えることは難しく、仮想通貨については、正直自分でもこの先どうなるのかわからない。僕自身を信じてくれとしか言いようがなかった。結局、この時は退職する意向は伝えたものの、どこかもやっと感の残る形で話は終わった。

 

想いを伝えきれていないと思った僕は、帰国してから父とまた電話で話すことにした。父は僕が物心つく前から海外を舞台に働く人だった。父の仕事の関係で僕はオーストリアで生まれ、幼少期には海外に住むこともあった。日本に戻ってからも、父は出張帰りにお土産を持って家に帰ってきたと思ったら、またすぐどこか別の国に行ってしまうような人だった。正直、高校を卒業するまではお土産くらいしか父との思い出はない。しかし、そんな父がなぜかカッコ良く見えた。大学に入り、父の昔話を聞くようになると、その想いは尊敬に変わった。詳しい父の物語はここでは秘密にするが、父のように自分らしい生き方をしたいと思った。僕は学生時代就職活動に真剣に取り組むことができなかった。このまま銀行に残っていては社会に縛られるばかりで父のように生きることはできない。だから、僕は退職という決断をしたのだ。僕の生き方をリセットするきっかけを与えてくれた仲間二人には本当に感謝している。この先不安にさせるかもしれないけど、僕を信じてまた一から応援してほしい。そんな話を涙ながらにした。父は「わかった、頑張れよ。母さんには俺から話しておくから。」と父親らしく僕の背中を強く押してくれた。

 

電話を切ると自然と目からは涙が溢れた。既に日が変わる遅い時間であったが、家の中には居られないと思い一人静かに外へ。誰かに無条件に話を聞いて欲しかったのか、僕は家の前の歩道に一人しゃがみこみ、気づけば琴葉に電話していた。突然の泣きじゃくる男からの電話にさすがの彼女もびっくりしていたが、すぐに事情を察し「親にちゃんと話せた?」と優しい手を差し伸べてくれた。男泣きしたのは大学四年の部活動で引退前に怪我をした時以来だろうか。親への感謝の気持ちと申し訳なさが頭の中で入り混じる。それだけではない。二十数年間生きてきて、ようやく親から自立できたような変な解放感と喜びも混ぜ合わさった。意外な組み合わせで出来た美味しいミックスジュースを飲むかのように、僕はこの時の感情を存分に味わった。少しでも早く親を安心させなければならない、頑張ろう。泣き止む頃にはこれまでの不安は一切無く、ただ真っ直ぐ前を向いていた。この時、何も言わず話を聞いてくれた琴葉には本当に感謝している。

 

こうして僕は晴れて銀行を退職し親からの自立を果たすことになった。きっと新人研修で武蔵のメンバーに出会っていなければ、僕は今も不満を持ちながら銀行に残りそれなりの生き方をしていただろう。もしかしたら銀行員として父のように海外で活躍していたかもしれない。しかし、彼らと出会って自分を見つめ直すうちに気がついた。大切なことは、自分が今何をやりたいのかということである。なんとなくやる訳でも、人にやらされる訳でもない。意志をもって自分がやりたいことに挑戦し続けることが大事なのだ。その積み重ねが一人の人生をその人らしいものへと変えていく。

 

最後に、僕は決して銀行を否定する為にこれまでを綴った訳ではない。銀行ほど社会的信用があり規律の守られた組織は他にないし、銀行には使命感を持って働き続ける優秀な人材も確かにいる。業務内容で言えば、若くして一般企業の社長、役員と経営の話ができる仕事は銀行員くらいだろう。福利厚生も充実し給料だって悪くない。そんな良いとこ尽くしの銀行をなぜ僕は辞めたのか。何度も言うように生き方が合わなかったからである。銀行という巨大だが狭い世界の中で、我慢を続けながら他人と比較して生きることになると思うと、将来が真っ暗になった。このように闇を抱えながら銀行で働き続ける人が多いことも知っている。僕は出会いに恵まれきっかけを掴んだが、大抵の人は五年目辺りを過ぎるとこのステータスを捨てることができなくなる。参考にはならないかもしれないが、僕の話がそんな現状に不満を持ちながら一歩を踏み出せない人に少しでも勇気を与えることができれば幸いである。

 

退職後、僕は健友と哲誠と共に仮想通貨・ブロックチェーンの世界に入り込む。そこからの話は新たな驚きと苦悩の連続でこれまで以上に面白いのだが、それを語るのはまた別の機会にしよう。

 

 

(完)

※書ききれなかったところは番外編で