Sensuousに生きよう。

何も考えてないように見える僕の頭の中は、日本酒が溢れ出るくらいにくだらないことで頭が一杯だ。

銀行員時代 法人営業部編③

僕に声をかけてきたのは健勇と哲誠だった。僕らは自由が丘で再会し、駅最寄で美味しいと評判のPIZZA17で看板メニューのマルゲリータを頬張りながら、互いの近況報告をした。僕にはその辺のサラリーマンと同様職場の愚痴以外に話すことはなかったが、二人は僕より先に銀行を退職しそれぞれの道を歩んでいた。健勇はIT大手企業への転職を経て政府関係の仕事に就き、哲誠は健勇が紹介したITベンチャーインターン生としてプログラミングを学んでいた。そして、篤彦と三人で合同会社を立ち上げ何やら新しいビジネスを始めようと計画している様子だった。

 

「三人でシェアハウスしないか?」健勇のその一言が全ての始まりだった。食後のコーヒーを飲みながら突然の一言に僕は驚いたが、二人の話を一通り聞いた後で自然と「その話悪くないかも。」と心の中で思った。銀行の充実した福利厚生を放棄することにはなるが、今の自分の状況を変えるにはもってこいの話であった。二人が具体的に何をしようとしているのかはわからない。しかし、一緒に住むことでまた二人から刺激をもらえると思うと少しワクワクした。「いいよ。」あまり深く考えず直観的に僕はそう返事した。

 

当時の二人のアパート契約の関係もあって、実際にシェアハウスを始めるのは七月辺りになるだろうという話であった。物件探し等は二人に任せて僕はひとまず"現実"に戻る。

 

 

銀行員三年目となった四月、いよいよ僕は担当を任されることになった。任されるといっても全社合わせて二十社にも満たない程で、それらは全て部内業績にほとんど影響を及ぼさない単独メイン先か未取引先であった。なかなか外に出れない状況を不満に思っていたが、いざ営業担当としてお客さんを目の前にすると変に緊張するものであり、先輩との引き継ぎ挨拶を終えて初めて一人で担当先を回る時には、「ちゃんとお客さんと会話ができるだろうか。」と支店研修時代の初期に記憶がフラッシュバックした。しかし、新人ということで可愛がってくれた面も当然あるだろうが、お姉様方の厚い指導のおかげもあり、お客さんと打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。

 

多くの新人行員が営業に出てまず始めに上司から言われることは「お客さんを知り仲良くなれ。」である。これは特に銀行業界に限った話ではないだろう。いきなり現れた営業マンにこちらの状況を無視して何かを売りつけられても、話すらまともに聞いてもらえないのは、保険営業や新聞営業を見ても明らかだ。僕はこの言葉通り、まずは顔を出してお客さんと仲良くなることに努めた。とは言え、用もなしに会ってくれる程お客さんも暇ではない。特別用がなくとも、相場や業界動向レポートといった行内のドアノックツールを駆使して、多少無理やりにでもアポイントを取り付けるのである。

 

面談回数を重ねて担当先のビジネス概要の理解が進んでくると一つの壁にぶつかる。経営者が何か悩みを話してくれた際に、経験ある先輩であればどこの行内部署・グループ会社に繋げば良いのかを瞬時にイメージできるが、新人の場合その場で即座に提案できる武器がほとんどないのである。最近の潮流から行内ではソリューション営業に徹することが重要視されているが、総じて新人は営業の武器を身につける意味でも初めはプロダクト営業に偏ってしまう。僕もまたその内の一人であり、凡その検討をつけて「この商品について話をしてみよう。」と試してまわり、行内の商品理解を少しずつ深めていった。

 

正直に言ってこのプロセスは、長い目で見た時の銀行員としての知識を蓄積するには有効的だが、成果に焦点を当てた時にはあまりに非効率である。成果を最優先に考えるのであれば、新人がやるべきことは一つ、上司を使い倒すことだ。お客さんの悩みを聞いたらすぐに上司との帯同アポを入れる、用がなくても上司のスケジュールが空いていれば帯同往訪をお願いする。子どもが親の臑を嚙るように、新人は上司の脛を齧れるうちはなくなるまで齧り続ければ良いのである。実際に僕が経験した案件のほとんどが、お客さんと上司との会話をきっかけに生まれたものであった。ここで、上司が忙しそうだからと声をかけるのをためらったり、変なプライドで上司には頼らないと決め込む新人は苦労するに違いない。

 

僕はこの点上司に頼りきっており、案件を進める過程では上司にこっぴどく怒られたが、退職するまでの半年という短い期間で新規や大口の貸金案件、運用案件、グループ会社協働案件等新人としては最低限の成果を上げることができた。これらの案件を通して特別仲良くなった担当先も何社かできて、営業マンとしての面白さを享受し始めた頃であったが、僕は最終的に退職という決断を下す。仕事が鬱になるほど嫌だった訳でも職場の人が嫌いだった訳でもない。前にも述べたが、彼らの生き方が僕の性に合わなかったのだ。頭ではこのことを理解しながらもこの決断に到るまでには長い道のりがあった。次回、健勇と哲誠との共同生活に焦点を当てながら、僕が伝統的社会すなわち"親"からの離脱になかなか踏み出せない様をお伝えする。

 

 

(続く)