Sensuousに生きよう。

何も考えてないように見える僕の頭の中は、日本酒が溢れ出るくらいにくだらないことで頭が一杯だ。

銀行員時代 法人営業部編④

「やっぱり、もう少しだけ時間くれる?明日までには返事するから。」シェアハウスの物件契約を進める直前に僕は健友にそう言った。シェアハウスの話がいざ現実的になると、本当にこのまま寮を出ていいのだろうかと不安になったからである。寮を出て健友と哲誠と住むことになれば、おそらく今の生活に戻ることはできない。近く僕も銀行を辞めることになるだろう。そう考えると急に心が臆病になり、僕は自分がした決断を今一度躊躇した。健友は直前の連絡に驚いただろうが「いいよ、最後は自分で決めることだから。」と快諾してくれた。後日談によれば、実はこの時健友は激怒していたらしい。

 

僕は何も銀行を退職することに抵抗を覚えた訳ではない。僕の心を悩ませたのは心臓に刺しこまれた"親"という楔である。僕は生まれてから日本の一大企業に勤めるまでの二十数年間、何不自由することなく過ごしてきた。成功者の自叙伝では想像を絶する程に苦労した経験が人生の糧になったという話もよく見られるが、僕はこれまで何かに追い込まれて絶望したこともない。いわゆる僕はよくある中流階級の家庭に育つ子どもであったが、気づけば幼い頃から暮らしの自由と引き換えに親の期待に応えることばかりを考えてきた。そんな親に守られた子どもが"親"という楔を取り外すことは周りが思うほど簡単ではない。僕は親のことを考えると思い切った決断ができずにいた。

 

決断までのタイムリミットは一日。僕は一人寮の部屋に籠りとにかく頭で考えを巡らした。ここで寮を出ていいのか、あるいは残るべきなのか。親に心配かけることにはならないのか。そして、本当によくわからないまま二人に付いていって大丈夫なのか、等々。健友が自分の生活環境を改善する為に僕の銀行員としての立場を利用しようとしていることも理解していた。家賃が比較的高い優良物件を借りる際には、二年という短いキャリアで転職を繰り返した人よりも、何も考えず銀行に残っている人の方が社会的信用が厚いのである。それを表すように、物件契約時には僕が契約者になるという話になっていた。この時の僕は彼の目的を果たす手段に過ぎなかった。

 

そんな悲観的なこともあれこれ考えたが、想像の通り結論は出なかった。頭の中が堂々巡りになって決断しきれない自分に嫌気が差していた時に、僕は健友からのLINEを見返した。…最後に決めるのは自分。そうだ、親がどうとか、二人がどうとかは全く関係ない。大事なのは僕自身が今どうしたいかである。「契約決定で。」何かを吹っ切ったように翌日の出勤前に僕は健友にそう返事した。彼らと暮らしてこの先銀行を退職することになるかはわからない。とりあえず今は退屈な毎日に刺激を与える意味でも、僕の置かれた環境には変化が必要なのだ。そんな想いから僕は健友と哲誠との共同生活に踏み切った。

 

共同生活することが決まってまず僕がしたことは、退寮の手続きである。退寮届にあおぞら法人営業部の部長印をもらい寮長に提出するという簡単な作業であったが、僕はここで一つの嘘を付いた。退寮の理由を友人とのシェアハウスではなく兄弟で一緒に住むことにしたのである。基本的に退寮は個人の自由意志に委ねられる為、馬鹿正直に伝えても部長印はもらえたかもしれない。しかし、誰とシェアハウスするのかと部内で変な詮索をされることが嫌だった。シェアハウスする仲間が元銀行員であるからその想いはなおさらである。付き合いの長い上司ら一部の人は嘘であると感づいていたが、特に問題が起きることなくこの手続きは済んだ。

 

次に親への対応だが、僕は行員時代に退寮してシェアハウスしていたことを未だ親に告げていない。親に僕が寮を出ると言えば、特に母親から強い反発を食らうことがわかっていたからである。誰と、どこで、何で、家賃は払えるのか等先の見えないやり取りをしなければならないことが目に見えていた。幸い寮が実家に近かったこともあり、親から寮に何か荷物を送ってもらうことも、親が寮に来ることもなかったし、シェアハウスすることを言わなくても親にはバレないと思った。実家に帰った時にはまだ寮に住んでいる体で親と会話し、ここでもまた嘘を付いた。

 

二つの嘘を経てようやく三人での共同生活がスタートした。場所は田園調布。誰もが知る高級住宅街である。改札を出てから緑の銀行が見える通りの坂を下り、住宅街を抜けていった徒歩十分くらいのところに僕らの家はあった。築15年以上にはなるであろう外からは少し古びた戸建て住宅であったが、中は4LDKと三人で暮らすには十分な広さであった。そして、寮を出たとは言え銀行に通勤するという日々に変わりはなかったが、塗り直されたワックスで光を放つ床や貼り直されて白く生まれ変わった壁紙からは新生活の香りが感じられた。

 

新生活を始める上で、まず初めにすることは家具集めである。新しい家具を購入するだけのお金がなかった僕らは、今ではサービス停止となってしまったメルカリアッテというアプリを利用して家具集めを行なった。このアッテというアプリは、郵送でモノをやり取りする通常のメルカリとは違い、買い手が売り手の時間場所指定でモノを取りに行く。その分販売価格は安いのだが、これが思いのほか大変で、もう二度と使うまいと最後三人で嘆いたことを覚えている。レンタルしたハイエースを哲誠が運転して家具を取りに都内を回ったのだが、荷物を取りに行く手間と積み降ろし作業の手間とを考えると、多少お金を払ってでも業者に頼むべきであった。

 

家に一通りの家具が揃うとようやくそこに生活感が生まれた。僕はこれまでと大きく変わらず毎朝七時前に家を出て夜九時頃に帰宅する銀行員生活を送った。健友は政府関係の仕事をまだ続けていた為、銀行ほど明確に決められた勤務時間ではなかったが、僕と帰る時間もそれほど変わらなかった。哲誠は既に健友から紹介されたITベンチャーの職場を離れていて、健友の職場の補佐としてバイト的な働き方をしながら比較的自由な生活を送っていた。つまり、正社員とバイトとで自由度は違えど健友と哲誠の職場は同じだったのである。僕だけが銀行員としての生活を続けていた。

 

そんな中、僕が疲れて家に帰ると二人はいつも何やら楽しそうに会話していた。プログラミングやトレード関係の話をしているようだったが、二人が話す内容は正直僕にはさっぱりだった。共同生活を始めて早々どこか言葉の理解できない異国に来てしまったかのような錯覚を覚えた。同時に、研修の頃から二人は頭がキレると思っていたが、半年から一年という短い期間でここまで成長速度に差があるものかと銀行に残る自分への疑念が強まった。寮を出る前は二人に触れることで職場のストレスが多少和らぐと思っていたが、現実には家に帰っても余計に気の抜けない日々が続いていた。二人の会話に付いていくことに僕は必死だった。

 

僕は仕事終わりや週末を利用してキャッチアップに励んだが、なかなか二人の話し合いに参加できずいた。そんなある時健友からフィンテック関連の本の読書感想文を書くよう指示された。何の為に書くのかもよくわからないまま、僕は言われた通りに隙間時間に本を読んで感想文を書いた。この時はあまり本を読むことが好きではなかった為、学校の宿題をこなすようなストレスを感じたが、本の内容は近年のフィンテック動向を解説するもので当時の僕には大変勉強になった。本について僕が書いた内容を二人にどう見られるのか不安もあったが、幸い二人とも良く評価してくれた。この読書感想文をきっかけに、僕は後々三人の中でレポート関連の執筆を担当することになる。実際に二人と肩を並べて動き出すのはもう少し先の話ではあるが。

 

一般に言う"入社試験"のようなものを通過して以降、少しずつではあるが二人の取り組みを理解するようになった。二人は自分たちでアルゴリズムを考え、仮想通貨の自動売買を行おうとしていたのである。二人と再会する以前に、突然健友から電話が来てお金をせびられた理由がこの時わかった。彼らは仲間内から投資元本を集めては、試行錯誤する中で最適なトレード手法を模索していたのだ。今でこそ相場は落ち込みを見せているが、当時は世間的にビットコインが注目される前の時期で、仕込み方次第ではトレードで儲ける機会が世界的に広がっていた。実際に二人が考えたアルゴリズムはリスクを最小限に抑えた上で着実に利益を上げるものであり、一時期メディアで取り上げられた「億り人」程の規模ではないが相応の儲けを出していた。結果、僕も資金を投じることにした。

 

投資的な面で二人が何をしようとしているのかは理解した。しかし、この時の僕は仮想通貨・ブロックチェーンが何であるのかをよくわかっておらず、二人の議論に参加できない状況に変わりはなかった。認知度の高まった今日ですら一般に理解が難しいと言われる仮想通貨・ブロックチェーンであるが、銀行員生活で衰えた思考力では到底すんなり頭に入ってくるはずもなく、いつになったらマラソンで先を走る二人の背中が見えてくるのだろうと不安になった。そして、その気持ちはいつしか疎外感・劣等感に変わっていった。

 

そんな後ろ向きな感情が芽生え始めた頃である。仕事を終えて家に帰ると一人の見知らぬ女性がリビングの椅子に座っていた。ピンク色の髪で派手めな格好をした彼女は哲誠の学生時代の友人であり、一目見て「ヤバいやついる。」と思った。しかし、いざ話をしてみるとその印象はすぐに変わった。騙されたと思って仲良くしてごらんと自分で言うように、彼女は見た目からは想像もつかない程に芯のある確りした女性だった。琴葉は退職前に僕の背中を後押ししてくれた一人の女性である。

 

次回、今のどっちつかずのままではいけないと思い、ついに退職を決意する時が訪れる。その決意に到るまでの心の葛藤をお伝えしたい。

 

 

(続く)