Sensuousに生きよう。

何も考えてないように見える僕の頭の中は、日本酒が溢れ出るくらいにくだらないことで頭が一杯だ。

What's this blog

「いつからだろう。声の形でコミュニケーションを取ることが下手くそになったのは。」

 

ある日の夕方、市街地のカフェテラスで観光客に紛れてビールを飲みながらふと考えた。海外に来て早半年が経とうとしているが、現地の生活に馴染めず、どうやら少し頭がおかしくなっている。そんな不安定な状態にある僕だが、この自問に対して清々と自答してみようと思う。以下に述べるその答えがブログを始めるきっかけになったからだ。

 

勘違いして欲しくないが、僕は引きこもりではない。むしろ学生時代には団体スポーツに打ち込んで来たガチガチの体育会系である。右向けと言われれば右を向くし、酒飲めと言われればつぶれるまでに酒を飲む。文句を垂れずに人の指示に従うという意味では、普段から意思表示をしておらず、人とコミュニケーションを取っていないのかもしれない。しかし、ここで言う「コミュニケーション」とは人との会話の話ではない。自己表現の話である。自分の考えをいかに上手く相手に伝えられるかという話である。

 

過去を振り返ると、僕はこれまで人前に立って何かを話す機会が決して多かった訳ではない。学生時代には学級委員、イベント運営委員なんてこともしたことがない。強いて挙げるとすれば、大学時代に部活の副将として練習や試合前に少し偉そうに後輩に話をしていた程度である。すると、今僕が抱えている声のコミュニケーションへの苦手意識は経験不足によるものなのだろうか。いや、違う。昔から僕にはどこかおかしいところがあった。

 

僕は何かその時の気分で決めた言葉を普段の会話でやたらと使うクセがある。過去最も発せられた言葉TOP3は「不毛」「えぐい」「渋い」だろう。一度これらの言葉が僕に憑依すると、なんの受け答えをするにしても「不毛だな」「えぐっ」「渋すぎ」などといった返答になる。知人でもない人からすれば、「それ、えぐいね」などと言われても全くの意味不明であろう。しかし、それらは僕なりの解釈で正しく使われているのである。そして、これのタチが悪いところは、それが自分の周りの人にすぐさま伝染することである。気づけば知人もこれらの言葉を使い始め、そこには異様な言語コミュニティが形成される。

 

今思えば、中学、高校、大学といつの時代も僕は言葉遊びをしていた。正規の意味とは異なる自分なりの解釈で言葉を使い出したり、時に造語を作り出すこともあった。こんなことを繰り返す内に、僕の私生活はほんの数単語で会話が(自分の中で)完結するようになっていたのである。語彙力不足?そんなことはない。文章という形で自己表現をすれば、僕は多種多様な言葉を用いて物事を語ることができる。声の形で同じことができなくなったのは、その時々の言霊が反射的に口から出てくるからである。

 

僕の言語コミュニティに属さない人は、口を揃えて僕にこう言う。「返事が適当すぎる」「何も考えていないでしょ」と。君らの言う通りだ。僕は口で受け答えをする時には何も考えていない。考えることすら面倒臭い。誤解を生まない為に言い直せば、自分の考えを瞬時に頭で整理しアウトプットすることが苦手なのである。だから、考える必要がないよう独自の言葉でもって返事をしている。僕はこの苦手意識を払拭しなければならない。しかし、それ以上に言葉遊びが好きだ。このブログは僕が文章という形で自由に言葉遊びをしながら自己表現ができる場として使いたい。